幼少の頃
横浜で生まれ、東京で育つ。2人姉妹の長女。
木登りや運動が大好きでおてんばな幼少期を過ごす。
幼稚園で縄跳びを飛び続け驚かせたり、近所のお家で高い場所からジャンプして左あばら骨にヒビが入り手を吊ったり。
家族や親戚が多くわいわいしながら、近所からも可愛がられて育ち、好奇心旺盛な子供になる。
友達がやっていたのがきっかけで、5歳の時、ピアノを習い始める。
今教室にあるアップライトピアノが届くまでは、近所から譲ってもらった電子オルガンで練習をする。
たくさんのクラブや習い事で楽しい毎日を過ごした小学生時代
クラブ活動は茶道、バスケットボール、バドミントン。
アスレチックなどアクティブなスポーツは遊びで男の子みたいに育ち、
芸術や勉強は習い事をしながら過ごす。
毎年のリレーの選手、書き初め展での表彰、小1の時にピアニカで“きよしこの夜”を弾いた事などで、皆に憧れられる喜びや嬉しさを知る。
プールや跳び箱やマット運動は苦手で身体は硬く、竹馬や竹とんぼやわら草履を作って遊んだり、鉄棒や一輪車、走ることや球技は得意だった。
仲間外れにされたり、喧嘩したり、嫉妬されたり、多感な時期もあったけれど、今でも忘れないクラス目標
“人の気持ちのわかる子になろう”“思いやりのあるやさしい子になろう”は私の原点でもある。
警察の鼓笛隊に所属し、打楽器と出会う。
仲間とともに学ぶ楽しさ、行進しながらリズムを演奏する楽しさを知る。
ピアノはツェルニ・バッハ・モーツァルトが嫌いで、ハノン・ブルクミュラ・ソナチネ・ショパンばかり弾く。
練習嫌いで、学校で歌う曲や宿題以外の曲を遊び弾きする毎日。
厳しい先生のレッスンを泣きながら受け、辞めたいと思った事もあるけれど、今私がピアノを弾いていられるのは厳しい先生だったからこそ。
何より、練習をしなくても、休んでも、月謝を払い続けてくれた父母にはとても感謝している。
卒業式典で、担任の先生が歌うJPOPの伴奏をする。
中学生・高校生時代
~部活~
中学時代はブラスバンド部でパーカッションと副部長、高校時代は吹奏楽部でパーカッションと指揮者をする。
パーカッションはドラムやラテン楽器やマリンバが得意。
学生指揮者としてステージに立ち、近隣養護学校のために“見せる音楽”を作り楽しむ。
~勉強~
授業に集中することと暗記が得意で内申は良かったが、国語と英語が苦手。
中学生の時に受けた漢字検定4級は不合格。
高校に入ってからは理数系が大の苦手科目になる。
高校3年生の時に英会話スクールに通い始める。
~経験~
中学生の時に大田区の陸上競技大会に選抜出場したり、
高校生の時に化学の先生がやっていた子どもたちをアウトドアに連れていくボランティアを経験する。
体育館ばきを履いて泳いだ川、テントはりや火おこし、ダンボールとアルミホイルで作るオーブンなど、自然の中での生活や遊びを知る。
泥だらけの体育祭や演劇祭で取った賞など、仲間とひとつになる感動を知る。
~ピアノと音楽~
練習時間がなくなりソナタが難しいと感じる。
発表会ではベートーヴェン・ドビュッシーを弾く。
レッスンにはほとんど練習せずに通い、レッスン時間中にショパンを弾くという癒しの時間でもあった。
中学2年生の時に初めて先生が変わり、ポピュラー音楽や合唱伴奏のレッスンを受け世界が広がった。
中学では3年間合唱コンクールの伴奏をする。
ピアノとドラムをやっていたのもあり、XJAPANのYOSHIKIに憧れる。YOSHIKIの作曲した曲が好き。
高校卒業と同時にピアノレッスンを卒業。
以降、再開まではほとんどピアノを弾かない生活を送る。
~何故音楽の道に進まなかったのか~
レベルとして音大ピアノ科は無理だった。
音楽で食べていくには厳しい時代と現実。
音大費用の負担をかけることを遠慮した。
音楽教員が多数で、島など遠くに勤務する可能性を懸念した。
先生職につくなら、まずは一般社会に出て社会人の経験を積み、視野を広げるべきだと思った。
音楽の世界だけでは狭いと感じた。
ピアノと音楽は趣味で楽しめると思った。
~決めた進路~
旅行・ホテル業界に興味を惹き、グローバルな活躍を目指したいと思う。
希望の業界が決まっているのなら、遠回りせずに近道を選びたいと大学進学にこだわらず。
大学英文科推薦か旅行専門学校推薦で、先に決まった方に進むことを決めた。
同じ方向性の仲間と好きな勉強は楽しく、難しいことに挑戦したいと思う専門学校時代
国家試験2種類取得と履歴書に書ききれないほどのたくさんの資格を取得。
今までの人生で一番勉強した時代。
~初めての海外旅行はカナダのクリスマスホームステイ~
初めての飛行機搭乗とプロペラ機を体験する。
日本のクリスマスとは違う、大人も子供も、若きも老いも、ファミリー全員で楽しむ暖かいクリスマス。
スーツケースに入りきれず、もうひとつバッグを買うほどのたくさんのプレゼントをもらう。
同年代の学生と話す中で、日本の学生と海外の学生の自国に対する思いや知識、着眼点の違いに驚きを隠せない。
~ツアーコンダクターの研修旅行はニュージーランドへ~
南半球の日本とは真逆の気候、
マオリ族と呼ばれる原住民との交流、
競馬の馬を育てるお家でファームステイを経験。
一般的に家庭菜園があり、キウイハズバンドと呼ばれる愛妻家パパと一緒に作る朝ごはん。
夜空には無数の星と、数えきれないほどの流れ星。
文化の違いを実感する。
~卒業旅行で行ったヨーロッパバックパッカーツアー~
一か月をかけてスペイン・イタリア・フランスをまわる女子2人旅。
日本で購入したのは、
往復航空券と一回の移動航空券、
鉄道のユーレイルフレキーパス、
到着日と危険地域のホテル3泊分のみ。
自分たちで日程表を作成し、
ヨーロッパの鉄道時刻表トーマスクックとにらめっこしながら、
宿泊施設を探しながらの周遊旅。
英語はなかなか通じないので、スペイン語やイタリア語やフランス語に苦戦。
現地の人は言葉の壁を全く気にしないので、
身振り手振りのジェスチャーと何とか伝える単語で意思疎通が出来る。
危機感とハプニングだらけの旅を経験する。
~ピアノとの縁~
カナダのホームステイ中に、ピアノのあるお家でショパンの子犬のワルツを弾いて遊ぶ。
海外の楽譜を見たり、音楽は世界共通を実感する。
~就職活動~
縁故で決まっていた旅行会社から内定をもらえずショックを受ける。
この時事情は知らされていなかった。
試験に遅刻、
面接時の言葉は準備出来ずにその場で思った言葉を伝え、
提出物の忘れ物をしたにもかかわらず、
20倍率の中で内定をもらう。
9社目での内定、9月の誕生日、
筆記試験に3回落ちた普通自動車免許試験に4回目での合格、
ほぼ同時のタイミングに驚きと縁を感じる。
本命だった別の旅行会社の最終社長面接の選考結果を待たずして就職先を決意する。
晴れて旅行業界に就職するも荒波が襲う
百貨店の中の旅行代理店カウンター業務で、社会人として、サービス業として、旅行業としての基礎やマナーを叩き込まれる。
私の社会人としての原点。
女性では社内でめずらしい転勤を繰り返し、地域制や商品やサービスを学び、たくさんの上司や先輩やお客様から育てられる。
華やかな外商の世界を知る。
トップから上司・先輩まで素晴らしい職場で、厳しく、優しく、暖かく育ててくれた会社が、幕を閉じる。
親会社が派手に経営破綻をしたため、出入り口でマスコミに追いかけられる。
その後吸収された旅行会社で同業務をするも、方針の違いに憤りを感じ、
自分が勉強したいものに限界があったため、その先を見据え転職を考える。
~この頃の旅と音楽~
ボディボードとスノーボードを始め、神奈川・静岡・千葉の海へ、北海道・岩手・新潟の雪山へ出没。
ドライブ中の音楽は、レゲエ、ヒップホップ、R&B、オールディーズ、ダンスミュージック、Enya、
L’Arc~en~Ciel、サザンオールスターズ、JUDY AND MARY、Mr.Children…。
高速道路を走るときは何故か“ルパン三世”をよく流す。
訪れた海外はハワイ・タイ・シンガポール・ビンタン島・韓国・バリ島。
それぞれ特有の文化や景色や料理と、匂いや音楽を感じる。
伊豆の温泉地をほとんど制覇し、北海道・沖縄では楽しむと同時に日本の歴史や自然、文化の違いなどを知る。
ドラマの撮影地なども訪れ、世界観を味わう。
プロツアーコンダクターとして世界・日本をめぐる
~日本は全国へ~
日光と京都は何度も訪れお庭のような存在になる。
森林の中では癒され、目を閉じると匂いや自然の音が感じられる。
坊の説法や座禅では心があらわれ、お抹茶を飲むと豊かな気持ちになる。
登山・ハイキング、カラオケ、ダンス、札巡り、写真などの特殊なツアーも経験する。
~海外は主要観光国へ~
一般観光のほか、企業や団体VIP・単独VIP、芸能関係ファンミーティングツアーなどにも添乗。
アメリカ、カナダ、シンガポール、マレーシア、韓国、香港、インド、エジプト、トルコ、イタリア、オランダ、ヘルシンキ、ロンドン、パリ・・・
インドから帰国出来ず3日間眠れずに起き続けたこと、エジプトでの銃撃事件、トルコでのテロによるホテル爆破、他にも天地災害など、数々のハプニングを経験する。
たくさんの異文化や宗教を知り感動、色々な方々や音楽とも出会う。
~多くの学校・塾・ツアーで先生や学生と交流~
修学旅行やオリエンテーション合宿では小学校~大学まで経験、専門学校の研修旅行や福祉学校の修学旅行も依頼される。
有名な進学塾の合宿、社会科見学やフィールドツアーなども経験する。
当初は日帰りツアーを月に数日しか仕事がもらえず食べていけるのか心配、気が付いたらリクエストをもらうなど、平均睡眠時間2・3時間の旅生活を送るようになる。
何万人というたくさんのお客様や学生さんとの出会い、ツアー演出が財産になる。
身体を壊して休職。
~この頃の音楽とピアノ~
ブライダル音響の仕事を経験。
プロピアニストやプロ歌手など音楽家と交流し、コンサート企画に参加する。
司会を頼まれた教室のコンサートでガーシュイン・ショパン・リストなどを弾いたり、エレクトーンを弾く。
オペラ、ミュージカル、映画音楽、ヒーリングミュージックなどをきく機会が増える。
教会を訪れるようになり、嫌いだったバッハが好きになる。
◯足のわらじ
ピアノ・音楽の勉強を再開、指導を始める。
10年以上のブランクを経て自分自身のピアノレッスンを再開。
“ピアノの先生を探している生徒さんがいる”という親友であり英語の先生からの相談がきっかけで、指導法・心理など講師として必要なものも学び始め、ピアノ講師として初めての生徒が出来る。
本格的に指導・演奏の勉強をする。
ブライダル演奏を経験したり、ミュージカルオーディションのための練習を依頼される。
カワイ指導グレード、日本音楽審議会講師資格級を取得。
ピアノ教室を主宰する。
~別の顔~
空港センディング、レセプショニスト、バンケット、ブライダル音響、不動産業、洋菓子販売、メーカーお客様センター、歯科クリニックコールセンター、IT、貿易商社などで仕事をする。
常に世の中の動きや状況を知る。
~家と家族~
古い実家の建て直しをし、現在のレッスン室が出来る。
今は亡き、祖父母の認知症介護、母のガン治療と闘病生活が重り、介護と病気を知る。
ピアノ演奏のボランティアを考え始める。
本格的にピアノ教室運営をしていく決意をし、指導・演奏のほか、経営や付加価値についての勉強を進行する。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
幼少の頃より現在に至るまで、体験や五感を磨いてきたことが、感性や表現力につながっています。
そして、社会に出てたくさんの人やたくさんの学生さんと出会い、ピアノレッスンはプロになるだけものではなく、価値がたくさんあると思いました。
指導を始めて、生徒さんや保護者の皆様が喜んでくれたこと、楽しいと感じてくれたこと、音楽的成長・心の成長が嬉しくて、指導を続けたいと思うようになりました。
社会や組織の窮屈さも感じている分、新たに教育の分野でその経験すべてを活かしたいと思っています。
人生の荒波が何度こようとも、それを糧とし、次につなげる精神力を常に学んでおります。
旅行業界も音楽業界も、好きな事があること、そしてそれを仕事として出来ることをとても幸せに感じます。
これまでの経験が、皆様ひとりひとりに寄り添ったオーダーメイドレッスンにつながっていると願い、日々のレッスンをしております。
新型コロナウィルスにおいて
当教室では出来る限りの感染症対策をしています。
生徒様・付き添いの方にも、感染症予防と3密回避の
ご協力をお願いしています。
また、政府・東京都・大田区・各教育委員会からの
要請や方針、地域の状況などにより
「オンラインレッスン」に切り替えます。
ほりえ音楽教室